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<折れない心をつくる言葉>

<折れない心をつくる言葉>

「折れない心をつくるシンプルな習慣」渡部卓著 日本経済出版社
■本などからの引用 ○私の意見


■わたしがたどりついた結論は、「折れない心はちょっとした習慣でつくれる」
というものです。病気になったり、トラブルが生じたりするのは変化へのメッセ
ージとして受け止められるようになりました。それはいまのあなたの習慣を見
直すことを促すシグナルなのです。受け止め方を変え、さらに行動を改めるこ
とで、人生を変えられるのです。

○『心が変われば、態度が変わる。 態度が変われば、行動が変わる。 行動
が変われば、 習慣が変わる。 習慣が変われば、人格が変わる。 人格が変
われば、運命が変わる。 運命が変われば、人生が変わる』という言葉は、
星陵高校の山下監督や野村克也さんなどいろいろな方が使っていますが、
オリジナルは米心理学者ウィリアム・ジェームスの言葉のようです。


■ストレスの三大要因は、「他人」と「過去」と「お金」だといわれています。他人
と過去とお金は自分ではなんとも「変えられない」、コントロールできないものだ
からです。

○失敗の三大要素は、「言い訳」「自己正当化」「無責任」です。


■折れない、しなやかな心とは、物事の受け止め方が客観的で、考え方が合理
的、そして鋼のような硬さではなく、柳のようなしなやかさを持つ心です。この心
は、仕事で能力を発揮したり、快適で幸福な毎日を送ったりするための土台の
ようなものです。

○「レジリアンス」(resilience)という言葉は「復元力」「弾力性」といった意味です
が、環境ジャーナリストの枝廣淳子さんは「しなやかな強さ」と解釈されていま
す。それは宮古島にあるという、台風の際、風を避ける品種のサトウキビのよう
なものとのことです。


■空気を読むということは、他人の思惑を自分の感情より優先するということで
す。なにか言いたいことがあっても、適切な空気になるまでは言わない。空気を
読みすぎると、いつも自分を抑えこむ結果になります。ですから、空気を読みす
ぎる人よりも、空気を読まない人の方が当然、ストレスは少ないはずです。

○私は受動的に「空気を読む」より、能動的に「空気をつくって」いきたいと思い
ます。


■結果は期待どおりでなかったとしても、プロセスでがんばったこと、学んだこと
があるはずです。だとすれば、プロセスにも目を向けて、ちゃんと評価してあげて
はどうでしょうか。
 たしかに仕事では結果を求められます。しかし、毎回必ず求められたとおりに、
結果を出し続けることなど不可能です。良いときもあれば、悪いときもあります。
遊びでも、仕事でも、完成や結果を見る楽しみがあると同時に、醍醐味はプロセ
スにあるといえるでしょう。
 良いプロセスなくして、良い結果は出ないはずです。

○一番わかりやすく目に見えるのは結果ですが、いきなり良い結果など出ません。
プロセスに工夫をこらし、何回も失敗してやっと思うような結果につながるのでは
ないでしょうか。


■「どんな波風でも雨天が続いても人生に無駄なことは一つもない」ということを
知りましょう。人生には予測もしなかったさまざまな変化が訪れます。心がタフな
人は、柔軟に変化を受け入れ、変化を楽しみます。一方、変化を恐れ、変化を拒
絶する人は、自分で自分を苦しめています。

○「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもな
い。唯一、生き残るのは変化できるものだけである」とはダーウィンの言葉です。


■問題発生時は、メールを使わず直接話し合うことを肝に銘じておいた方がよい
でしょう。トラブル時にメールでやりとりを続けると、問題がどんどんややこしくなっ
ていくものです。

 自分の感じていること、考えていることのすべてをメールに書けるわけではあり
ません。多くの場合、メールの文面は言葉足らずですから、「相手の本音はなん
だろう?」「私を責めているのだろうか?」とメールを読んだ後、一人であれこれと
悩むことになります。それがまたストレスになるのです。

○会って話す場合でも、言語(バーバル・コミュニケーション)よりも言語以外(ノ
ンバーバル・コミュニケーション)の方が1:9の割合で相手に伝わるのですから
ネットでのコミュニケーションには限界があって当然です。
 問題はその限界を知った上で、フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションを
補う手段としてどう有効に活用するかです。


■あすのことを思いわずらうな。
 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
 (「新約聖書『マタイ伝』」)

○明日は明日の風が吹く、成るようにしか成らないという、いい意味での開き直
りが必要です。もっとも最善を尽くした上でという条件付きですが。


■人には二とおりの祈り方があるというのです。ひとつは「請求書的な祈り」、も
うひとつは「領収書的な祈り」です。
 神社やお寺などをお参りしたときに、試験の合格や昇進、健康など、なにかよ
いことを期待してお願いするのが「請求書的な祈り」です。
 一方、何も具体的な要求はしないで、漫然といまここにある状況への感謝の
気持ちをささげるのが「領収書的な祈り」だそうです。

○私が初詣などでやってきたのは「請求書的な祈り」ですが、神様に対して失礼
なので、これからは「領収書的な祈り」に変えたいと思います。


■幸せとは、なにか特別な出来事による強烈な刺激(第一志望の大学や企業に
入るとか、一躍有名になるとか、大金を手にするとか)ではなく、日常のなにげな
い流れの中に見出す小さな喜びの連続のようなものではないかと思うのです。
 ですから、多くを求めすぎず、小さな出来事にも喜びを見出せる人の方が、幸
せは大きい。

○「隴を得て蜀を望む」(ろうをえてしょくをのぞむ)。という言葉にあるように、人
間の欲望には限りがありませんが、「足るを知る」ようになり、「ないものねだり」
ではなく、「あるもの活かし」の発想で生きていきたいものです。


■「休みの日に家でダラダラしていると罪悪感を持ってしまう」という人がいます。
「ダラダラしている暇があれば、読書をしたり、人と会ったり、勉強をしたりしない
といけない」と考えてしまうようです。
 しかし、ダラダラしていることにも、大事な意味があります。

○まさに貧乏性の自分のことを言われているような気がしました。車のハンドル
にも「あそび」は必要ですから少し心にゆとりを持ちたいと思います。



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